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横浜地方裁判所 昭和52年(ヨ)544号 判決 1982年2月25日

申請人

末吉克巳

右訴訟代理人

柿内義明

野村和造

宇野峰雪

鵜飼良昭

被申請人

東京プレス工業株式会社

右代表者

石井恭平

右訴訟代理人

平本祐二

高城俊郎

主文

一  本件仮処分申請を却下する。

二  申請費用は申請人の負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  申請の趣旨

1  申請人が、被申請人の従業員の地位にあることを仮に定める。

2  被申請人は申請人に対し、昭和五二年三月九日以降本案判決確定に至るまで毎月一〇日限り金一一万五八八〇円を仮に支払え。

3  申請費用は被申請人の負担とする。

二  申請の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  申請の理由

1  申請人は、昭和四九年四月一日、被申請人に入社し、以来、相模原市南橋本三の二の二五所在の被申請人相模原工場に勤務していた者であり、被申講人は、肩書地に本社を、相模原市に右相模原工場を有する株式会社である。

2  被申請人は昭和五二年三月九日以降申請人との雇用関係を否定している。

3  申請人は、被申請人から、毎月一〇日に一か月当り金一一万五八八〇円の賃金の支払を受けていた。

4  よつて、申請人は、被申請人に対し、従業員たる地位の確認と未払賃金の支払を求める訴えの提起を準備中であるが、申請人は、被申請人から支払を受ける賃金を唯一の収入として生計を維持している労働者で、他にみるべき資産もないから、本案判決の確定を待つていては回復できない損害を被ることになるので、申請の趣旨のとおりの仮処分命令を求める。

二  申請の理由に対する答弁

申請の理由1、2は認め、3は否認し、4は争う。

三  抗弁(解雇)

1  申請人は、昭和五一年九月から昭和五二年二月までの六か月間に、次のとおり、無届の遅刻をした。

(一) 昭和五一年九月 四回(10.8時間)

(二) 同年一〇月 八回(24.0時間)

(三) 同年一一月 二回(5.0時間)

(四) 同年一二月 三回(4.9時間)

(五) 昭和五二年一月 三回(9.8時間)

(六) 同年二月 四回(11.2時間)

(合計二四回、65.7時間、毎月平均4.8回、一回の平均遅刻時間2.7時間)

2  申請人は、昭和五一年九月から昭和五二年二月までの六か月間に、次のとおり、事前の届出のない欠勤をした。

(一) 昭和五一年九月  一日

(二) 同年一〇月    〇

(三) 同年一一月    一日

(四) 同年一二月    八日

(五) 昭和五二年一月  三日

(六) 同年二月     一日

(合計一四日)

3  昭和五一年九月から昭和五二年二月までの期間に、申請人が就労すべき日数は一二四日であつたが、前記の遅刻日数と欠勤日数とを合算した三八日については完全な就労をしていないので、右期間中に正常に就労した日数は全体の六九パーセントにすぎない。

4  申請人は昭和五一年三月頃から長時間に及ぶ遅刻をくり返すようになつたので、被申請人は所属課長である平橋聖志を介して申請人に再三にわたり注意をなしたが、昭和五一年九月六日から同年一〇月一三日までの間に一〇回に及ぶ正当な理由のない長時間の遅刻を行つた。そこで、被申請人は、就業規則第三九条第一項第一号に則り、昭和五一年一〇月一三日、申請人より始末書を徴し、反省を促して将来をいましめるけん責処分に付した。

ところが、申請人はその直後である同月一五日、二五日と遅刻をくり返したので、同月末ころ、被申請人は申請人に対して、川崎一芳人事課長をして再度注意を与え反省を求めた。しかし、申請人は何ら反省、改善の態度を示さず、同年一一月及び一二月にも欠勤合計九日、遅刻合計五回を重ねた。この間、所属課長、係長、同僚らが申請人の自宅へ電話をかけ、遅刻、無届欠勤をしないよう注意を促したが、申請人は何ら反省、改善するところがなかつた。

昭和五二年一月に入り、申請人は同月一七、一八日の両日とも午後から出勤するという大幅な遅刻を行つたばかりか同月一九日から三日間にわたり無届欠勤を続けた。そこで、被申請人は、同月二一日付文書で申請人の就労の意思の有無の確認を求め、同月二四日には、足立哲治総務部長から事情説明を求めたところ、反省の意を表明したので、訓戒にとどめた。しかし、同年二月に入つても無届欠勤一日、遅刻四回があり、改善の跡は見られなかつた。

5  解雇の意思表示(本件解雇)

(一) 主位的解雇

(1) 被申請人の就業規則第四一条第三号及び被申請人と申請人の属する全国金属産業労働組合同盟東京プレス工業労働組合(以下「組合」という。)との間で締結された労働協約(以下「労働協約」という。)第三〇条第三号には「正当な理由がなく遅刻、早退または欠勤が重なるとき。」、被申請人の就業規則第四一条第八号には「訓戒又はけん責以上の懲戒をうけ、なお改心の見込みがないとき。」との懲戒解雇事由が、労働協約第三一条第六号には「懲戒によるとき。」との退職及び解雇事由が、それぞれ規定されているところ、申請人の1、2の行為は就業規則第四一条第三号、労働協約第三〇条第三号に、4の行為は就業規則第四一条第八号にそれぞれ該当するものである。

(2) 以上の理由から、被申請人は、昭和五二年三月八日、就業規則第四一条第三号、同条第八号、労働協約第三〇条第三号、第三一条第六号に則り、申請人に対し懲戒解雇の意思表示をなし、右意思表示は、同月九日、申請人に到達した。

(二) 予備的解雇

(1) 申請人の1、2記載の勤怠状況が懲戒解雇事由に該当することは(一)のとおりであり、この場合、被申請人が懲戒解雇しないで通常解雇することは申請人にとつて利益となるのであるから、就業規則第四九条第一項第六号(懲戒によるとき)に準じて許されるものである。

(2) また、申請人の1、2の勤怠状況は、被申請人の事業活動をそこなうものであり、申請人が自らこれを改善する態度を示さなかつたのであるから、就業規則第四九条第一項第七号の「やむを得ない会社の都合によるとき。」、労働協約第三一条第七号の「その他会社がやむを得ない事由があると認めたとき。」に該当する。

(3) 以上の理由から、被申請人は、(一)記載の解雇の意思表示とともに、申請人に対し、解雇予告手当金九万三八三四円を口頭で提供した。したがつて、右解雇の意思表示は通常解雇の意思表示としての効力を有する。

四  抗弁に対する認否

1(一)  抗弁事実中、1ないし3は否認する。

(二)  同4のうち、申請人が昭和五一年九月六日から同年一〇月一三日までの間に合計一〇日、同月一五日、二五日にそれぞれ一回の遅刻をした事実、同年一一月、一二月に合計九日の欠勤及び五回の遅刻をし、この間、被申請人の従業員から電話を受けた事実、申請人が昭和五二年一月一七日、一八日に遅刻し午後から出勤した事実、同月一九日から三日間にわたり欠勤した事実、被申請人から申請人あてに同月二一日付文書が送付された事実、申請人が同年二月に欠勤一日、遅刻四回をした事実(ただし、二月二八日の遅刻は中央労使懇談会に遅れたもので、通常の遅刻とは性格を異にする。)は認めるが、その余の事実は否認する。

(三)  同5のうち、就業規則、労働協約に被申請人主張の定めがあること、被申請人主張の日に本件解雇の意思表示がなされたことは認めるが、右解雇の有効性に関する主張は争う。

2  申請人には、就業規則あるいは労働協約所定の解雇事由に該当する事実はない。

(一) 申請人には、就業規則第四一条第一項第三号、労働協約第三〇条第三号に該当する事実はない。

(1) 昭和五一年九月六日から同年一〇月一三日にかけての遅刻について

申請人は組合の中央委員、執行委員として積極的に組合活動を行い、昭和五一年六月にはプレス機械破損事故の処理につき、被申請人自身が安全基準を守つていないことをぬきにして作業者を処分しようとしたことについて抗議行動を盛り上げた。

これに対し、被申講人は、申請人を現場労働者から切離すことを企図し、同月二三日及び二四日、申請人に対し現場からスタッフへの配置転換を求めてきた。その際、申請人は、執行委員としての組合活動と配置転換とが両立しないことを主張したが、組合役員選挙で申請人が執行委員に再選された場合は、再度話合うとの約束のもとに、同月二五日からスタッフとして品質管理課品質管理係に勤務し、補助作業に従事した。

ところが被申請人は、申請人が組合執行委員選挙でトップ当選となつた後も話合いの約束を無視し、このため申請人の執行委員としての諸活動に支障をきたした。

他方、被申請人は申請人に責任ある仕事を与えず、被申請人の申請人に対する嫌がらせが明白になつた。

このような、申請人に仕事も与えず、約束は反古にされるという状況のもとで申請人は遅刻に追い込まれたのであり、その責任が被申請人にあることは明白である。

(2) 昭和五一年一一月以降の遅刻、欠勤について

昭和五一年一一月から昭和五二年二月までの遅刻、欠勤のほとんどは、胃病のため体の具合が悪かつたり、病院へ行つたりしたためになされたものであり、また、昭和五二年二月の遅刻には、雪のため通勤用自動車が故障したことによるものも含まれる。したがつて、右の遅刻、欠勤には、そのほとんどに正当な理由がある。

したがつて、前記就業規則及び労働協約で懲戒解雇事由と定める「正当な理由がなく遅刻、早退又は欠勤が重なつたとき。」には該当しない。

(二) 申請人には、就業規則第四一条第八号に該当する事実はない。

就業規則第四一条第八号は「訓戒またはけん責以上の懲戒をうけ、なお改心の見込みがないとき。」を解雇理由としているが、労働協約第三〇条第七号は「懲戒処分を受けながらなお悔悟の見込みのないとき。」を懲戒解雇理由とし、労働協約第二八条は懲戒の種類として「訓戒」は定めていない。したがつて、労働協約が就業規則に定める懲戒解雇事由を制限したとみるべきであり、就業規則第四一条第八号は「訓戒」を受けただけの者に関する限り適用されず、けん責以上の懲戒処分を受けながらなお悔悟の見込みのないことが懲戒処分の理由となる。しかるに、申請人は本件解雇前に何らけん責以上の懲戒処分も受けてはいないから、就業規則第四一条第八号、労働協約第三〇条第七号に該当しない。

(三) 申請人には就業規則第四九条第一項第七号、労働協約第三一条第七号に該当する事実はない。

就業規則第四九条第一項第七号、労働協約第三一条第七号は事業所閉鎖等もつぱら会社側の責にのみ帰すべき事由による解雇を予定しており、労働者の責に帰すべき事由による解雇には適用し得ない条文であり、被申請人があえてこれらを適用したのは、懲戒解雇においては労働基準監督署長の認定手続が必要とされ(労働基準法第二〇条第三項、第一九条第二項、就業規則第三九条第一項第四号、労働協約第二八条第四号)、厳重な手続的制限が加えられているので、これを免れるためであつたといわざるを得ない。

五  再抗弁

本件解雇は、次の理由により、無効である。<以下、事実省略>

理由

第一申請の理由1、2の事実は当事者間に争いがない。

第二解雇事由について

一就業規則第四一条第三号、第八号、第四九条第一項第七号、労働協約第三〇条第三号、第三一条第六号、第七号に、被申請人主張どおりの定めがあること、被申請人が申請人に対し、昭和五二年三月八日、解雇の意思表示をなし、右意思表示が同月九日、申請人に到達したこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

二就業規則第四一条第三号及び労働協約第三〇条第三号該当性について

1  申請人の遅刻、欠勤の有無

(一) 当事者間に争いのない事実並びに<疎明>を総合すれば、申請人は、昭和五一年九月から昭和五二年二月までの六か月間に別紙(二)遅刻、欠勤一覧表(一)記載のとおり遅刻、欠勤したことが一応認められる。

(二)  右(一)認定のとおり、申請人の昭和五一年九月から昭和五二年二月までの六月間の遅刻回数は二四日、欠勤回数は一四日であり、この間、申請人が就労すべき日数は、前掲証拠によれば、合計一二四日(別紙(二)遅刻、欠勤一覧表(一)出勤日数欄、欠勤日数欄及び有給休暇日数欄の合計)であることが一応認められるから、完全な就労をした日数は全体の六九パーセント強にすぎないことは被申請人主張のとおりである。

2  ところで、<疎明>を総合すれば、被申請人においては、従業員が遅刻又は欠勤する場合には、事前に電話あるいは同僚にことづける形で所属係長又は課長に連絡すべきことが、それぞれ定められていたものと一応認められるところ、<疎明>を総合すると、申請人の前記遅刻、欠勤は、昭和五一年一二月頃の一回の遅刻を除きすべて事前の届出がなかつたことが一応認められ、右認定に反する成立に争いがない疎甲第三五号証中の記載は右各証拠に照らして措信し難く、事前の届出のない遅刻、欠勤は、被申請人の業務、職場秩序に混乱を生ぜしめるものであることが明らかであるから、以上によれば、申請人には就業規則第四一条第三号、労働協約第三〇条第三号の「正当な理由がなく遅刻、早退または欠勤が重なつたとき。」との懲戒解雇事由があつたものと一応認められる。

申請人は、昭和五一年九月六日から同年一〇月一三日にかけての遅刻は、申請人の積極的な組合活動を嫌悪した被申請人の申請人に対する嫌がらせの結果によるものである旨主張するけれども、このころ被申請人が行つた配置転換及び申請人に命じた補助作業の各合理性については後記第三、三、2記載のとおりであり、申請人が被申請人によつて遅刻に追い込まれたという状況になかつたことが明らかである。また、申請人は、昭和五一年一一月以降の遅刻、欠勤について胃病や自動車の故障という正当な理由の存在を主張しているが、たとえ右のような事由が存在したとしても、事前の届出のない遅刻、欠勤は、それ自体が「正当な理由のない遅刻、欠勤」に当るものと考えられるので、申請人の右各主張はいずれも理由がない。

第三不当労働行為について(再抗弁1)

一<疎明>を総合すれば次の事実が一応認められる。

1  申請人の入社後の職歴及び組合役員歴

(一) 申請人は、昭和四九年四月一日、被申請人に採用され、三か月間の試用期間を経て相模原工場製品開発部第三チームに配属され、昭和五〇年二月、同工場組立課に、同年四月、同工場品質管理課検査係にそれぞれ配置転換され、昭和五一年六月に同課品質管理係に応援を命ぜられ、同年一一月に同係に正式配置転換され、同係で稼働していたところ、解雇された。

(二) 組合には、重要事項の審議決定機関として中央委員会が、執行機関として執行委員会があり、中央委員会を構成する中央委員は各職場区分ごとに原則として五〇名に一名の割合で、執行委員会を構成する執行委員は相模原工場の場合は工場全体から五名がそれぞれ選出されることになつていたところ、申請人は、昭和四九年七月、組合員になり、同年九月、事務所関係(第三ブロック)の中央委員に選任され、昭和五〇年二月、組立課中央委員になり、同年四月の検査係への配置転換により右資格を喪失し(既に検査係より中央委員が選出されていたので申請人において中央委員の資格が引継げなかつた。)、同年八月に中央委員に立侯補して落選し、同年一〇月、執行委員(組織教宣部長、青婦文体部長)に選出され、昭和五一年九月、執行委員(組織教宣部長)に再選された。

2  振替休日の問題

被申請人は、昭和五〇年四月初旬、取引先の本田技研工業株式会社が九連休に入るため、これに合せて同月一日から四月まで振替休日にすることにし、右計画を同年三月一九日頃組合に提案し、協議した。

申請人は、同年三月二四日に開催された緊急中央委員会で、振替出勤につき休日出勤扱いするよう被申請人に要求すべき旨発言した。

3  昭和五〇年賃上げ交渉について

昭和五〇年四月の賃上げ交渉時は、いわゆるオイルショック後の経済不況期にあたり、労使の対立が生じていたが、組合がスト権を確立し、スト通告をする状況の中で団体交渉が行われた結果、同月二〇日、ストは実施されることなく妥結した。

申請人は、この間、執行委員会によつて組織された青年行動隊(同月一七日現在で参加者は一二名)の一員となり、組立課、プレス課で行われた職場集会に参加し、被申請人との妥結を図る組合執行部を批判する発言をしたほか、スト通告後一度行われた構内デモ行進(相模原工場の組合員のほとんどが参加し、人数は四〇〇名ないし七〇〇名)に参加した。

4  昭和五〇年夏季一時金問題について

昭和五〇年六月の夏季一時金交渉においては、夏冬一括交渉すべきか否かについて組合内に対立が生じ、申請人はこの問題に関する職場集会(申請人の職場以外で行われたものにも)に参加して執行部提案に反対する発言を行つたが、同月一二日の中央委員会では執行部案の夏冬一括交渉方式が賛成多数で可決された。

5  「我らが日々」の発刊について

申請人は、昭和五〇年六月中旬頃、同期入社の高校卒業の従業員ら六、七名の参加者で「我らが日々」という雑誌を発刊した。ただし、右参加者以外への配布は二、三名にとどまり、創刊号のみの発刊で終つた。

6  クラブ補助金問題について

被申請人には野球部をはじめとする同好会があり、被申請人から補助金が支給されていたが、昭和四九年以降は、いわゆるオイルショックの影響により生花クラブを除き打切られていたところ、申請人は、組合執行委員(青婦文体部長)として、中心となつて各部同好会代表者会議を開催して各同好会の意見をまとめ、被申請人と交渉し、補助金の再支給に尽力した。

7  プレス事故について

相模原工場では、昭和五一年四月二九日の夜勤時、プレス機械から金型をはずす際、操作を誤り、これを破損するという事故が発生し、被申請人は、同年五月二〇日、関係者より始末書を徴する処分をなした。

申請人は、被申請人に右処分の撤回を求める趣旨のプレスライン関係者等の署名運動を行い(ただし、右署名は結局組合にも被申請人にも提出されなかつた。)、かつ、プレス課中央委員に中央委員会を開催するよう働きかけ、開催された中央委員会では組合が被申請人に処分撤回の申入れをすることが決つた。また、組合の要求で同年六月二日に開かれた説明会には組合執行委員として出席し、積極的な発言をした。

8  青年婦人協議会の再建と「我らが日々」の再刊について

申請人は、昭和五一年七月頃、青婦協(青年婦人協議会、対象者は約二五〇名であつたが、実際の活動家は二〇名弱)の再建に携り、規約案を作成するとともに「我らが日々」を再刊した。右「我らが日々」は申請人の解雇に伴い、九号までで発刊が打切られた。

9  昭和五一年冬季一時金交渉について

申請人は、昭和五一年一一月頃、執行委員の一人として冬季一時金の交渉団に加わり、団体交渉にのぞんだ。この席で、申請人は付加価値の配分につき川崎人事課長とやりとりをし、両者間では意見が一致しなかつたが、組合執行部は川崎課長の案を受入れた。

二<証拠判断略>

三以上認定の事実によれば、申請人は、被申請人に雇用される従業員の経済的地位の向上及び福利厚生を目的として、組合執行部とは異つた方針の下に、組合役員に立候補したり、一般組合員としての独自の活動をするなどしていたことが認められるが、右認定事実の多くは本件解雇事由としての遅刻、欠勤の存在する期間(昭和五一年九月から昭和五二年二月)より以前の事由であり、また、申請人と意を同じくする少数の従業員グループ内の活動であつたり(「我らが日々」の発刊)、直接的には組合執行部に向けられたもので、被申請人に向けられた活動でなかつたり(振替休日の問題における中央委員会での発言、昭和五〇年賃上げ交渉及び同年夏季一時金問題での職場集会での発言)、組合役員としての当然の職務であるなど(クラブ補助金問題における被申請人との交渉、昭和五一年冬季一時金交渉における発言)、被申請人が申請人の活動を特に意識し、これを組合活動として嫌悪するほどのものであつたとは認め難い。

2 申請人は、昭和五〇年四月の品質管理課検査係への応援に就かせた措置(実質的配置転換)は被申請人が申請人の組合活動を嫌悪してなされたものである旨供述するが、申請人が品質管理検査係への配置転換の理由になつたと供述する振替休日の問題における申請人の活動は、1記載のとおり被申請人に対する直接の活動ではなかつたし、<疎明>によると、昭和五〇年頃はいわゆるオイルショック後の不況下であつたので、被申請人では従業員をできるだけ間接部門よりも直接部門や営業部門に配属する方針をたて、申請人の場合も右方針に則り、同期入社の大学卒業者である斉藤拓二とともに、同年二月、組立課へ配属されたが(申請人と同期入社の他の三名の大学卒業者もこの時期に直接部門へ配属された。)、その後、品質管理課検査係に二名の欠員が生じたため、大学卒業者であり、将来のいわゆるスタッフ候補者である右両名についてはライン的な組立課よりもスタッフ的な品質管理課がより適任であるとの判断のもとに、同課への同年四月一日付の配置転換が行われたものであることが認められ、右認定の事実に反する申請人本人尋問の一部は、前掲各証拠に照らして措信できないので、この事実によれば、被申請人が申請人にのみ特に異例な取扱いをしたとは認め難く、また、昭和五一年六月の品質管理係への応援は、証人平橋聖志の証言、申請人本人尋問の結果(ただし、後記措信しない部分を除く。)によると、このころ申請人の度重なる遅刻に困つた検査係長が平橋品質管理課長に対して申請人を配置転換してほしい旨要請したこと、そのため平橋課長としても、自分の目の届く品質管理係に申請人をおくのが適当と考えたこと、また一方では、申請人が大学院での研究を積んでいたので、検査係よりより技術的な品質管理係が適任であると判断されたこと、検査係から品質管理係への配置転換は、いわゆるスタッフ候補者にとつては通常のコースであり、前記斉藤拓二も既に品質管理係へ配置転換されていたこと、また、申請人は応援開始時には組合の役職に就いておらず、同年九月に執行委員に選任されて以後は組合用務に支障のないよう出張などにおいても配慮されたこと、申請人には応援開始後約三か月間は工程能力調査等補助的な仕事しか与えられなかつたが、これは申請人が異動直後で仕事に慣れていなかつたことや、遅刻、欠勤が多く、組合用務に支障のあるため出張ができなかつたことから責任ある仕事をまかせられなかつたことによるものであること、しかし、同年一〇月からはブレーキペダル関係のより高度な仕事が与えられたことが一応認められ、右認定の事実に反する申請人本人尋問の結果の一部は前掲各証拠に照らして措信できないので、これらの事実によれば、右応援に就かせた措置には相当な理由があつたものと認められる。

3 更に、<疎明>を総合すれば、申請人の入社当初からの勤怠も別紙(三)遅刻、欠勤一覧表(二)記載のとおり不良であり、平橋課長、川崎課長らの度重なる注意訓戒にもかかわらず何ら改善されなかつたことが一応認められ、被申請人が昭和五一年一〇月一三日、申請人の将来の節度ある勤務態度を期待して始末書を徴したにもかかわらず(この事実は<疎明>によつて一応認められる。)申請人が右始末書提出後も第二、二認定のとおり、無届の遅刻、欠勤を重ねたことなど本件解雇を被申請人が決定するに至つた事情を考慮すれば、本件解雇の真の理由は申請人の組合活動を被申請人が嫌悪したことにあつたというよりも、申請人の勤怠不良及びそれに伴う職場秩序紊乱行為にあつたと解するのが相当である、従つて、この点に関する申請人の主張は理由がない。

第四手続違反について(再抗弁2)

一労働協約第二八条第四号、就業規則第三九条第一項第四号違反について

1  労働協約及び就業規則に申請人主張どおりの定めがあること、本件解雇につき、被申請人が行政官庁の除外認定を受けなかつたことは当事者間に争いがない。

2 ところで、労働協約及び就業規則の規定は、その体裁からして労働基準法第二〇条第三項のいわゆる除外認定の制度をとり入れたものとみられるところ、同条による除外認定は、解雇予告手当金を支給しないで即時解雇することのできる同条第一項ただし書の事由があることにつき行政監督上の確認を受けるべきことを定めたもので、それ以上に懲戒解雇事由の存否や懲戒解雇の相当性についての確認を受ける趣旨までを含むものとは考えられず、また、労働協約及び就業規則の右認定制度も労働基準法上の除外認定と同様に行政官庁の除外認定を受けるべき公法上の義務を明示したものにすぎず、懲戒解雇権を行政官庁の除外認定にかからせて自律的制限を加えた趣旨と解することはできないから、この点についての申請人の主張も理由がない。

二労働協約第三一条第七号ただし書違反について

1  労働協約に申請人主張どおりの規定があることは当事者間に争いがない。

2  <疎明>を総合すると、被申請人は、昭和五二年二月末頃、申請人を任意退職させることを決め、同年三月一日、足立総務部長、椎名勤労厚生担当課長、川崎人事課長を通じて申請人に任意退職を勧告したが、同月二日、申請人がこれを拒否したので、懲戒解雇するのもやむなしと決意し、同日、組合三役(安藤執行委員長、小島、佐藤両副委員長、林部書記長)に対し申請人の勤怠状況を説明し、任意退職に応じないならば懲戒解雇したい旨伝えたこと、これに対し組合三役は、執行委員会の構成員の問題でもあるから組合に持帰り相談したい旨回答したこと、同日、組合は申請人を含めて執行委員会を開催し、右問題を討議した結果、申請人作成の誓約書を被申請人に提出して解雇中止を申し入れる旨決議したが、同月三日早朝、申請人が誓約書提出の趣旨に反して食堂付近で一般組合員への会社批判のアピール行動を行つたことから、間もなく、再度執行委員会が開催されここにおいて組合三役としては申請人の解雇もやむなしと考えるに至り、同日、解雇を中止してほしい旨の請願書を一応足立総務部長に手交したものの、その席で、申請人の今後の無断遅刻、欠勤の改善には自信が持てないので、組合としては消極的ではあるけれども、被申請人の判断で懲戒解雇するならばそれもやむを得ない旨口頭で伝えたこと、以上の事実が一応認められ、これによれば、被申請人と組合との協議は尽くされたものと評価し得る。

もつとも<疎明>によれば、労働協約第八三条には中央労使協議会の付議事項として「本協約に協議すると定めた事項」との規定があるので、本件解雇に関する協議は中央労使協議会で行われなければならなかつたと解され、したがつて、手続上に瑕疵があつたといわねばならないが、右認定のとおり、直接的には組合三役との協議ではあつたがこの内容が執行委員会(<疎明>によれば、この構成員が中央労使協議会の組合側構成員であることが一応認められる。)にかけられ、右委員会での討議が尽くされていること、証人松下元春の証言及び申請人本人尋問の結果によれば、組合三役は本件解雇後間もなく中央委員会を招集して本件解雇について報告し、その際、格別の異議も出なかつたことが認められるので、これらの事実に鑑みれば、右瑕疵が本件解雇を無効とするほどのものとまでは解することができない。よつて、この点についての申請人の主張も失当である。

第五解雇権の濫用について(再抗弁3)

一遅刻、欠勤の内容について

申請人は、その遅刻、欠勤が被申請人の違法、不当な攻撃に対する抗議として、また、責任ある仕事を与えられないという状況下で行われたものである旨主張するが、右事実を認めるに足りる証拠がないことは第二、二記載のとおりであり、かえつて、証人平橋聖志の証言によれば、申請人の前記遅刻は、その多くが申請人が組合関係の本を読んで夜更かしし、翌朝起床が遅れるためであつたこと、申請人は、遅刻、欠勤しても賃金カットになるのだからかまわないとの独自の考えを持つていたことが認められるので、これによれば、申請人の遅刻、欠勤は何ら合理性のないものであつたことが明らかである。

二他の者との比較について

申請人は、本件解雇が別紙(一)記載の他の勤怠不良者に対する扱いと異なり、申請人についてのみ過酷に行われた旨主張するけれども、<疎明>によれば、これらの者のほとんどは無断欠勤を長期にわたつて続け、被申請人から連絡しても出勤しないため任意退職の形で退職した者らであり、申請人とはその勤怠不良の態様を異にするうえ、申請人についても第四、二、2のとおり任意退職の勧告がなされたのであるから、申請人についてのみ特に不利益な取扱いがなされたものとは認め難い。

なお、証人八木清明は「恩田」という者につき、また証人松下元春は「あぜがみ」という者につきいずれも申請人より勤怠が劣悪であつたのに処分がなされていない旨証言しているが、右証言はいずれも対象者の特定が不十分であり、申請人との比較に適さず、他に申請人との比較を相当とする者についての証拠はなく、かえつて<疎明>によれば、申請人の勤怠不良の程度が他の者に比して著しいことが明らかである。

三解雇に至る経緯の異常性について

1  本件解雇に当たり、労働協約ないし就業規則に定められた手続が遵守されていることは、前記認定のとおりである。

2  懲戒権が段階的に行使されなかつたこと及び就業規則第四一条第三号の適用された事例が従前なかつたこともそれだけでは特に異とするに足りない。

3  平橋課長の意見を聞かず総務部だけで解雇を決定したとしても、それは会社内部の権限の問題に過ぎない。

4  解雇に至るまで申請人の勤怠が不良であつたことは前記認定のとおりである。

5  昭和五二年一月に至るまでの申請人の勤怠が別紙(二)及び(三)の一覧表記載のとおり甚だ不良であつた以上、同年一月二一日になされた就労の意思確認が、他の者に比べて著しく早い時期になされたとはいえない。

6  申請人に対して勤怠不良をあらためるようにとの警告が平橋課長、川崎課長らによつて繰返しなされたことは前記認定のとおりである。

7  病気による欠勤も、事前の届出がなければ、正当な事由があるといえないことは既に判断したとおりである。

四以上のとおりであるから、本件解雇が解雇権を濫用してなされた旨の申請人の主張は理由がない。

第六結論

よつて、申請人の主張は理由がないことが明らかであるから、これを却下することとし、申請費用の負担につき民事訴訟法第八九条の規定を適用して主文のとおり判決する。

(三井哲夫 吉崎直弥 嘉村孝)

別紙(一)〜(三)<省略>

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